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2012.01.18

アール・ヌーヴォー!

 


これは正直、なんかよくわからないですね。
私がそもそも「アール・ヌーヴォー」を理解していないので。
(美術系の大学を出ているからといって必ずしも美術全般に造詣が深いわけではないのですよ・・・。学科や講師によってはほとんど学ばない分野も多いので)


Wikipediaなどで調べたら説明は出てきますが、それよりは、「アール・ヌーヴォー」で画像検索するのが一番、つかみやすいと思います。


曲線を基調とし、植物や昆虫をモチーフにしたアート作品が出てきたのではないでしょうか。
優雅で、なめらかで、やわらかそうで、なまめましく、色っぽい。モチーフによってはちょっと気持ちが悪い。
そういうアート作品ですね。


私の美術の先生が「アール・ヌーヴォー」と言っていたのは、おそらくですが、「有機的構成」ということを言いたかったのではないかと思います。
ここで言う構成は「画面構成」のことですが。
無機質な人間味の感じられない構成ではなく、ある程度の生々しさや、色っぽさ、生物的な有機質な要素を入れろということでしょう。



これを漫画に置き換えて考えると、「有機的構成」というのは、絵と話、双方にかかってくることかと思います。


絵については、単純に「直線でなく曲線で考える」だけでも、有機的にはなります。
人間の体に直線ってないんですよ。一本の骨だって直線ではありません。当たり前ですよね、自然物なんですから。
なので、今人体を描くときに、直線でアタリをとっている人は、曲線を意識するだけでも、やわらかい感じになると思います。


私、こういう本を買ったのですが、この本では特に曲線でクロッキーをすることを重要視して書かれています。



人体クロッキー―美術解剖学をデッサン・アニメ・漫画に活かす


ちょっと高いですが、お金に余裕があって、「人物の体がなんか固くなって動きが出ない」とお悩みの方にはいいかも。




またこれは「動き」についても同様。「動線」といいますか、人間がどういう流れで動き、構図をどういう流れで見せるかといったことですね。


特にスポーツやバトルを描く人は意識するといいと思いますが、これも体の線同様、直線で考えるより曲線で考えたほうが「動き」のあるポーズ、構図になります。
実際にスポーツやバトル(格闘技や殺陣など)を見るとよくわかると思います。


 


また、絵が下手だった人が、デッサンやクロッキーを一生懸命やって絵が上手になった。上手にはなったけど、下手だったときにあった持ち味が消えてしまった・・・。というのは稀にあることです。
それは、その人の個性だった癖まで、一緒に修正してしまったからというのが大きいです。
これは難しいです。好みもありますしね。
デッサンの崩れや歪みを直すと、どうしても癖も一緒に消えてしまうことはあります。


これは、絵があまり上手じゃないと一般的に言われている漫画家(失礼ですが…)の作品が、アニメ化している場合、原作とアニメを見比べてみてください。
アニメ化にあたり、たいていはデッサンの狂いなどは極力直します。
かといって、原作者の持ち味や個性を消すわけにいかないので、アニメ化するとき、キャラクターデザイナーや作画監督は、かなり注意をはらっているはずです。


ですので、例外はあるかもしれませんが、たいていは持ち味を消すことなく、「下手」に見える要素だけを消していることが多いです。


自分の絵が下手だなあと思っている人は、自分の漫画がアニメ化されたら、どういうキャラクターデザインになるのか、実際の例にてらしあわせて想像してみたら、それがあなたの目指す絵なのかもしれません。


 



話の構成においての「有機的」というのはちょっとわかりづらいですね。
抽象的というか、かなりこじつけた話になってしまいますが・・・。



無機物が直線的・一方的なイメージとしたら、有機物は曲線的・多方面なイメージです。


建造物で考えると、日本のあちこちに建っている普通のビル、直線で下から上に順番に積み重なって構成されていますね、ああいうのが「無機的な構成」なのに対し、スペインの建築家、アントニオ・ガウディの建築物を思い浮かべてみてください。知らない人は画像検索でぐぐる。


曲がりくねった形、どこに続いてるのかわからないような壁、ゆがんだ窓、非常に自由な建築物です。
それでもちゃんと建っているのですから、構成としてはきちんと成り立っているわけです。
非常に「有機的な構成」です。


 


漫画のストーリー構成で考えると…


ただ順番どおりに無駄なく、最初から最後まできちんとまっすぐつながっているだけ。破綻したり揺らぐことはないが、「まじめに普通にちゃんとしてる」以上の感想を人に抱かせることはない、「普通のビル」
…無機的な構成


見た人が驚くような奇想天外な展開があったり、無駄にしか見えないような部分があったりもするが、基本はしっかりあって破綻したりはしない。おかしいところや無駄に見えるところも含めて味があって面白く、人を楽しませる「ガウディの建物」
…有機的な構成


って感じでしょうか。


 


まあ、ガウディは別に人をおもしろがらせようとしてあのスタイルになったわけではないのですが・・・。
私も作品を見たときはてっきり愉快な人かと思ったのですが、ストイックなまでに真面目で敬虔なクリスチャンだったそうです。



さて、では実際構成でどうすればいいかというと、その肝心な部分についてあまり説明ができないのですが、できそうなところだけでも。


 


・無駄をそぎ落としすぎない。


もちろん、無駄ばかりだとページは足りないわ冗長になるわで、良くないのですが、ストーリー展開上無駄に見えても、キャラをたたせるのに役立ったり、読者がストーリーに感情移入するための「間」になったりすることがよくあります。
そういう一見無駄っぽい部分に、作者の個性や味が出たりもします。
つまりが、「無駄ではない」ということなんですが。


変に真面目な人だと、ストーリー展開に直接関係がないシーンやエピソードを根こそぎカットして、きちきち「必須要素だけ」をカッチリつめた構成をしたりしますが(ページ数の都合とかいろいろありますしね)、漫画は論文でもパズルでもないので、もう少し広い心で「余裕と遊びをもって」構成してください。


カットするかどうかの基準はケースバイケースではありますが、「なんとなく読み飛ばしてしまう」「面白くない」部分を重点に確認ください。
「説明だけしかしていない」「役目が重複している」エピソードはなるべくカットの方向でいいと思います。


説明は、なるべく「説明」にならないように、各エピソード内に練りこみましょう。また、実は必要ないということもあるので、一度思い切って完全カットしてみるのもいいと思います。


また、「このエピソードとこのエピソード、役目は同じだよな」と思えば、魅力的なほうを残してカットしたり、あるいは一つにまとめたりします。


そうやっていくと、「面白い内容」だけが残っていくので、作品としても面白くなってゆくと思います。


「無駄かどうか」より「面白いか、魅力的か」を基準にカットするといいでしょう。


それであんまり意味不明になったり話が破綻するようなら、「必要だけど面白くない」エピソードがあるということなので、なんとか面白く練り直す作業をするといいと思います。


漫画は「おもしろい、楽しい」というのが重要なのであって、「理路整然とスキなくまとまってる」のがエライわけではありません。
無駄っぽく見えても、自分で気に入ってるちょっとしたコマやシーンなどは残すほうがいいと思います。


 


・順序にこだわりすぎない


「海は水でできており、水は水蒸気となり、水蒸気は光を反射して虹となるので、海は虹になるといえる」
気の長い人でないと、ちゃんと最後まで聞いてくれなさそうな説明です。


教科書の説明ならこれでいいでしょうが、漫画や小説なら
「海は虹になるんだよ」
と結論だけ言って、相手をひきつけてから「だって海の水が水蒸気になって、虹をつくるでしょう」と説明した方が、読者も読んでくれます。


帰納法やら演繹法やらおそらく国語の授業で習うと思いますが、漫画は基本帰納法でいく方がいいですね。


「こうだから、ああで、こうなって、そうなって…」とバカ正直に順番どおりエピソードを積み重ねる必要はありません。


一番インパクトのあるシーンや、結論からまずぶつけていくのもありですし、「ここはいちいち説明しなくてもわかる」と思えば、ざっくりカットしてしまうのも必要です。


二つ以上のエピソードを同時に動かすなら、一つ一つ順番に片付けず、交互にカットしながら見せてスピード間を出すなどもよくある手法です。


プロの先生方の作品をよく読むと、先生方もそのような工夫を随所にこらしているはずです。このあたりの感覚も、映画などを見ることで磨くことができると思います。



私は話の構成においては、何度もすみませんが、藤子F不二雄先生が非常にシンプルでストイック。無駄(カットしてはいけない無駄ではなく、本当の無駄)やスキのない構成になっていると思います。
短編の傑作によくあげられる「ミノタウロスの皿」などは芸術的といっていいくらいの構成です。普通30Pやそこらで描けるネタじゃありません。もちろん構成だけではないですが・・・。
子供向けに、毎回12Pの読みきり(ドラえもんなどですね)を何十年も描いていたのですから、無駄と無駄でないものを区別しそぎ落とすスキルはすさまじいものがあると思います。


それに対し、手塚治虫先生は、より有機的です。
同じく毎回読みきり形式だと「ブラックジャック」がありますが、こちらももちろん無駄はそぎ取られていますが、なんというかちょこちょこ余裕というか遊びというか、そういう部分がありますね。


そして、ものすごく有機的なのは、萩尾望都先生だと思います。


萩尾望都先生は、少女漫画の大御所で、SFなども多く描かれていて、男性にもファンの多い作家さんなのですが、一度、「男性にはあの漫画をどう読んでいいのかわからない」と聞いたことがあります。あるいは「読みづらい」と。


一般的に、少年漫画や青年漫画よりは、少女漫画の方が絶対に有機的になります。


これは、少年・青年漫画が「縦軸一本のストーリー」を軸に進む展開が多いのに対し、少女漫画は「縦軸のストーリー+横軸の感情」を織り交ぜての展開が多いからだと思います。一つの敵を倒せばまた次の敵…という展開ではなく、恋愛に夢に友情に揺れ動きながら進むストーリーが多いです。


萩尾先生や、同時代デビューの少女漫画家さんの作品は、この「織り交ぜ具合」がかなり有機的で、ストーリーの縦軸と、感情表現の横軸が一気同時に動いていきます。萩尾先生の場合は画面構成的にも、1コマ1コマが必ずしも独立しているわけではなく、隣のコマとくっついていたり、1枚絵なのに絵の中に時間軸が表現されていたりと、画面的にも有機的です。


なので、そういう構成に慣れていない男性には「どう読んでいいのかわからない」となるようです。


こういった先生方の構成を見比べてみるのも、いろいろ参考になって面白いと思います。

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